2024関東ロードミニ選手権最終戦 その1

本誌連載企画 市川拓の『五十にして立つ』がウエブで復活

50歳を過ぎたおじさんが、身の丈に合った活動を模索しながらロードレースに参戦する『五十にして立つ』というページを、ライディングスポーツ本誌において執筆していた市川です。

自分がオートバイに興味を持った80年代後半には既に存在し、90年代にはGPライダー畠山泰昌のお手伝いとして渡欧した体験記を、にわかライターとして書かせてもらった月刊ライディングスポーツ。筆者を含めた2輪レースファンのだれにとっても、『毎月発売されている』というのが長年当たり前だったと思いますが、昨年末の隔月刊化のニュースは我々関係者にとっても晴天の霹靂(へきれき)。紙のメディアの苦境の影響がライスポにも…と、少し気持ちが沈みました。

ですが、年明けに青木編集長と打ち合わせした際、「ライディングスポーツを続ける、という手段として隔月刊化という形にしただけ。その分ウエブサイトを大幅に充実させるよ。『五十にして立つ』も、やめろなんて微塵も考えていない。これまでどおり拓ちゃんは好きなように走って書けばいい」と、力強い言葉をいただきました。

そして数カ月後、WEBライディングスポーツの大幅なリニューアル化も完了。『五十にして立つ』も、ライディングスポーツ本誌との住み分けを考えながら、復活第一弾としてウエブページで展開いたします。今後ともよろしくお願いします。

いざ、関東ロードミニ選手権最終戦へ

名だたるライダーを輩出した桶川スポーツランドの歴史あるシリーズ戦、ライディングスポーツカップ関東ロードミニ選手権で盛況を見せる、4サイクル125マシンが競うインポートミニクラスに、2024年後半から参戦することを決めた筆者市川。

8月の第4戦から出走し、10月の第5戦の模様までは昨年発売のライスポ本誌でお伝えしていました。鮮度が低く恐縮ですが、迎えた2024年12月の最終戦の様子をお送りしたいと思います。

相棒GSX-R125には、あこがれのケビン・シュワンツと同じゼッケン34を付ける

12月15日、最終戦の早朝、桶スポのパドックには、市川を応援すべく、SUGOロードレースシリーズで活躍し、その後オートレースの訓練所に入所、2025年に伊勢崎オートでデビューが決まった佐々木光輝君とお父さんが仙台から駆けつけ、そしていつものように頼れる助っ人、埼玉のJP250ライダー、醍醐侑希選手親子も来場。さらに市川の友人で、最近KTM Duke390でサーキット走行を始めた灘吉君が江戸川区からマウンテンバイクで桶スポまで登場。にぎやかな応援団が市川を盛り上げてくれます。

桶スポの当日朝の周辺気温は2℃。路面温度も当然低く、公式練習では探るように走るのが精いっぱい。その様子を見た醍醐パパ、「予選は最後にコースインして、前のバイクとの間を空け、タイヤを冷やさないように最初からアタックし続けた方がいい」。

その忠告どおり、自分以外の全車が4コーナーに差し掛かったところでコースインしてアタックを開始。しかし目標タイムの46秒台に届かず、出走7台のインポートミニフレッシュマン、予選結果は6位。ですが太陽も昇り、青空が広がった桶スポ。気温と共に決勝に向けてテンションも高まります。

12月中旬に行なわれた最終戦。路面温度も低く、練習走行は探るように走り出した
決勝に向けて集中する筆者市川

今回スタートで試そうと思っていたことがありました。それはモトクロス時代のように、クラッチレバーを人差し指と中指の2本で操作し、アクセル全開でクラッチがつながる寸前をキープした状態で、シグナルが消えるのを待つというもの。ロードレースをはじめたころ、クラッチは指4本でつないだ方がいいよとだれかに教わった気がしますが、今回は2本指でトライ。

雲一つない青空に恵まれた関東ロードミニ選手権最終戦。インポートミニFクラスの6番グリッドからいよいよ決勝へ

決勝グリッドにつき、レッドシグナルからブラックアウト! 2本指のクラッチミートがうまくいき、何と3番手に浮上。自分のポジションも、後続が団子になっているのもすぐに把握。どこまでこの順位を守れるか、トップの2台も見えていたのですが、徐々に離れていきます。

スタートの瞬間。2本指のクラッチミートが大成功!
スタートを決めて序盤は3番手を走った筆者市川

ここで意識を前に向けなかったのが反省点。後ろのライダーを抑えなければ、と、焦りながら3周目の終盤の9コーナーに進入。

少しラインを外したかと思った瞬間、『ドカン!』とカウルに大きな衝撃と反響音。一瞬何が起こったのが分からなかったのですが、ポールポジションからスタートし、出遅れた山田選手が、自分のライン取りのミスを見逃さず、インに飛び込んできたのです。

しかしお互い転倒はせず、『あっ、大丈夫だ』と思ったのもつかの間。しまった山田選手と後続のマシンは次々先行。これでポジションを三つダウン。

予選1位の山田選手が市川のインに飛び込み…
衝撃は受けたものの何とか転倒は回避。しかしこれで一気に3ポジションダウン

目の前には同じGSX-Rですが、クラシカルなスタイルに仕上げた北村選手。なかなか抜きどころを見つけられない。レース中、素早く分析できないのも今後の課題です。結局そのまま順位を上げられず6位でチェッカー。手伝ってくれたみんなが待つテントへ。

6位でチェッカーを受けた市川。レース中のベストラップは46秒913だった

自分がヘルメットを脱ぎ、発した言葉は「楽しかった!」。するとすぐに、3周目に激突した山田選手が謝罪に来てくれました。

山田選手の名誉のために述べておきますが、彼は普段からほかのライダーに接触を仕掛けるような選手ではありません。温厚で物静かな、ブルース・スプリングスティーンに似た風貌(ふうぼう)の熱いファイター。市川のライン取りが甘かったのを見逃さず、そこに入っただけ。

このレースウイーク、実は水曜日の練習から一緒に走行してもらい、様々なアドバイスをいただき、終わってみれば市川のベストタイムも決勝中に46秒台に突入。山田選手がいなければ、このタイムは出せなかったと思います。

レース後に謝りに来てくれた山田選手と。互いの健闘をたたえ合った

この日のレースを見ていた、アジアタレントカップで活躍する、飯高新悟の父、いつも辛口な悟さんにも「拓さん、今日は善戦したんじゃないですか」と、おほめいただきました。

そして、いつもレースを手伝ってくれる仲間の存在はとても大きく、感謝しかありません。青木編集長も常日頃言っていますが、「レースは一人ではできない」。そのとおりだと感じます。

最高の応援団と最高の1日を過ごすことができた

市川にとっての最高の応援団と記念写真。左から醍醐パパ、醍醐侑希選手、オートレーサー佐々木光輝、筆者市川、灘吉君、佐々木パパ。本当にありがとう。

次回の『五十にして立つ』は、桶川スポーツランドに多数存在する、GSX-R125のレースユーザーを紹介したいと思います。

 

著者紹介
市川 拓
いちかわたく
1970年東京生まれ。20代のころから立体オブジェを制作し、映画やドラマの美術セットや撮影用の怪獣の着ぐるみも手掛ける。90年代にGP250畠山泰昌選手のデザイナー兼ヘルパーとしてグランプリに同行した。モトクロスレースの経験あり。

撮影
石崎伸樹
ささきてつお

協賛各社
アライヘルメット
ウエストパワー
MHプロダクツ
スズキ株式会社
クラブサークル
J-Trip
STOMPGRIP有限会社エム
ダブルオーグラスギア
hit-airプライドワン
ブリヂストン
ベスラ株式会社
ベビーフェイス
ベルレイオイル
マーキュリープロダクツ
MotoUP桶川スポーツランド